那須正幹への謝罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 01:34 UTC 版)
1983年に『とびだせズッコケ事件記者』が出た頃、東京新宿の飲み会で那須が当時の新人作家薫くみこに「編集者は坂井さん一人じゃないけん、いろんな人とやりなさい」と発言した。 しかし、これに坂井が反撥し、「何てことを言うんだ。この子はぼくが全力を尽くして、ここまで育てて来たんだ」、「だいたいあんたたちは礼儀がなっていない。室生犀星は軽井沢にいたころ、東京からの編集者をお迎えするときは、玄関に水をまき、玉砂利の目をそろえて、心してお迎えしたものだ。しかるにあんたたちは、そうした礼儀も何もないではないか」と那須や吉本直志郎を難詰した。 坂井の言葉に不快感を覚えた那須は憤懣やる方なく「もう坂井さんとの付き合いはやめよう、だからズッコケも終わりにしよう」と決心、「わしはもう、ズッコケは書けない。これは坂井さんとの仕事だからね。ほかの編集者とではだめなんだ」と坂井に言い渡し、シリーズが中絶の危機に瀕したこともあった。この時は、坂井が不遜を詫びて和解が成立した。「36年の人生で初めて、心から頭を下げた」と坂井は言っている。
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