避難の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 04:57 UTC 版)
焼夷弾による火災から逃れるため、多くの市民が眉山へと登ったり、吉野川へ避難した。山からは爆撃機から雨のように降り注ぐ焼夷弾と、炎に包まれた街を見降ろすことができたという。 避難が間に合わなかった人々は佐古川、助任川などの河川や小川、田んぼなどに飛び込み、焼夷弾が自分の頭上に落ちないように祈りながら空襲が終わるのを待つしかなかった。空襲が終わって這い出ると、川には遺体が流れていたという。 寺町にある東宗院の山門が焼け残り、家を焼け出され、ここでしばらく生活した人々もいたようである。
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