遺書的著作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 05:52 UTC 版)
科学者などが死を覚悟した際、その思想などを遺書の意味を込めて書く例がある。日本では第二次世界大戦の頃、出征になりそうな若手の科学者がそのような書物を書いた例がある。たとえば、岩田久二雄は海南島への赴任が決まったとき、その出発前に「自然観察者の手記」という本を出しているが、これは今西錦司が「思い残しのないように」書いておくことを勧めたことを自伝に書いている(岩田、1976)。今西自身も、同時期に『生物の世界』などを出版したが、その序文には「私の命がもしこれまでのものだとしたら、私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、なにかの形で残したいと願った」とあり、同所の文庫版の解説では上山春平が「一種の遺書としての意味を持っていた」と指摘している。
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