連立与党の敗退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 18:49 UTC 版)
「ロベルト・フィツォ」の記事における「連立与党の敗退」の解説
世界金融危機の影響で2009年の経済成長率がマイナスに転じ、失業率が15%にまで上昇する中、2010年国民議会選挙ではSMER-SDが得票率34.79%で前回を上回る62議席を獲得して引き続き第一党の座を確保した反面、連立相手のĽS-HZDSは議席をすべて失い、SNSも改選前の20議席を大きく下回る9議席にとどまって共に惨敗。与党が過半数を維持できなくなった。フィツォは選挙後、第二党のSDKÚ-DSイヴェタ・ラジチョヴァー副党首(選挙対策本部長)ら4つの中道右派政党に対して連立協議を試みたもののすべて拒否され、中道右派連立のラジチョヴァーに政権を明け渡したが、新たに国民議会の副議長に就任した。
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