追憶 (1973年の映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/04 05:52 UTC 版)
追憶 | |
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The Way We Were | |
監督 | シドニー・ポラック |
脚本 | アーサー・ローレンツ |
原作 | アーサー・ローレンツ |
製作 | レイ・スターク |
出演者 | バーブラ・ストライサンド ロバート・レッドフォード |
音楽 | マーヴィン・ハムリッシュ |
主題歌 | 「追憶」 バーブラ・ストライサンド |
撮影 | ハリー・ストラドリング・ジュニア |
編集 | マーガレット・ブース |
配給 | コロンビア ピクチャーズ |
公開 | ![]() ![]() |
上映時間 | 118分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 英語 |
興行収入 | ![]() ![]() |
『追憶』(ついおく、The Way We Were)は、1973年のアメリカ合衆国の恋愛映画。監督はシドニー・ポラック、出演はバーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードなど。脚本を書いたアーサー・ローレンツは、コーネル大学時代に体験した学生運動を元にストーリーを練り上げた。
ストーリー
政治活動に熱心で反戦主義のケイティーと、特に政治的傾向を持たない気ままなWASPのハベル。信条が正反対の2人は大学で出逢い、卒業後それぞれの道を進む。第二次世界大戦の最中、ケイティーは偶然ニューヨークで、軍人となったハベルと再会し恋人同士になる。ケイティーはハベルの友人らのブルジョア気質に馴染めず、2人は一時は別れそうになるが戦後結婚した。学生時代から小説を書き本を何冊か出版していたハベルは脚本家としてハリウッドで徐々に認められるようになる。
しかし、マッカーシズムの時代が幕を開け、ハベルらがよく集まる映画監督の家に赤狩りの盗聴器が仕掛けられていたのを知ると、ケイティーの政治思想が再燃し、妊娠中にもかかわらず同志らと政府へ抗議に行った。そのことでますます反政府的な言論が制限的になりハベルの仕事にも影響を及ぼし、ハベルはふとしたきっかけで昔の彼女と浮気をする。よりにもよって学生時代の女とのハベルの浮気を知ったケイティーは傷つき、ハベルもケイティーの理想主義に疲れ果て、2人の仲に深い亀裂が入り始める。離婚を決意した2人だったが、ハベルはケイティーが無事に女児を出産したのを見届けてからケイティーの元を去った。
それから時が経ち、ケイティーはニューヨークでハベルを偶然見かけて声をかけた。ハベルはケイティーの知らない女性と再婚し、ケイティーも再婚していたが相変わらずその日も政治活動に熱心だった。ケイティーは懐かしいハベルに、娘が綺麗に成長していることを告げ、夫婦同伴で家に遊びにきてと言った。だがハベルはそれはできないよと告げ、2人は穏やかにお互いを愛しげに抱擁し合いその場で別れた。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |
---|---|---|---|
TBS版 | 機内上映版[2] | ||
ハベル・ガードナー | ロバート・レッドフォード | 有川博 | 野沢那智 |
ケイティ・モロスキー | バーブラ・ストライサンド | 弥永和子 | |
J・J | ブラッドフォード・ディルマン | キートン山田 | |
キャロル | ロイス・チャイルズ | 小宮和枝 | |
ジョージ | パトリック・オニール | 平林尚三 | |
フランキー | ジェームズ・ウッズ | ||
不明 その他 |
藤本譲 巴菁子 塚田正昭 竹口安芸子 小野健一 羽村京子 上山則子 島香裕 大滝進矢 菅原淳一 梅津秀行 |
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日本語版製作スタッフ | |||
演出 | 小山悟 | ||
翻訳 | 高橋京子 | ||
効果 | 遠藤堯雄/桜井俊哉 | ||
調整 | 切金潤 | ||
制作 | 東北新社 | ||
初回放送 | 1985年5月23日 『木曜ロードショー』 |
音楽
- 主題歌「追憶」 - マーヴィン・ハムリッシュ作曲、1973年9月26日リリース[3]。
- サウンドトラックアルバム - 1974年1月30日リリース[4]。
作品の評価
映画批評家によるレビュー
レビュー収集サイトのRotten Tomatoesによれば、36件の評論のうち高評価は64%で、批評家の一致した見解は「『追憶』は、正反対の思想を持つ二人が恋に落ちる物語に真実味を持たせるには政治的対立が十分ではないが、バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの輝くスターパワーがこのメロドラマにロマンチックな高揚感を与えている。」となっている[5]。Metacriticによれば、11件の評論に基づく加重平均は100点満点中61点で「概ね好意的(generally favorable)」な評価となっている[6]。
受賞歴
賞 | 部門 | 対象者 | 結果 |
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第46回アカデミー賞[7] | 主演女優賞 | バーブラ・ストライサンド | ノミネート |
撮影賞 | ハリー・ストラドリング・ジュニア | ||
劇映画作曲賞 | マーヴィン・ハムリッシュ | 受賞 | |
歌曲賞 |
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美術賞 |
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ノミネート | |
衣裳デザイン賞 |
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余話
- 2000年に発売されたDVDのメイキング・ドキュメンタリーには、本編でカットされたシーンがインタビューの場面で取り入れられている。ケイティが車の運転をしていると、政治運動をしている女子学生がおり、昔の自分を思い出すシーンである。
- メイキングでは、ハベルとケイティが別れる理由も異なっているカットされたシーンが紹介されている。
参考資料
- 追憶(1973) - MOVIE WALKER PRESS
- DVD『追憶 コレクターズ・エディション』(2000年)
脚注
出典
- ^ “The Way We Were” (英語). Box Office Mojo. 2010年3月23日閲覧。
- ^ 『声のスターのすべて TV洋画の人気者』 162頁。
- ^ 45cat - Barbra Streisand - The Way We Were / What Are You Doing The Rest Of Your Life? - Columbia - USA - 4-45944
- ^ “RIAA”. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “The Way We Were” (英語). Rotten Tomatoes. Fandango Media. 2025年10月4日閲覧。
- ^ “The Way We Were” (英語). Metacritic. Fandom, Inc.. 2025年10月4日閲覧。
- ^ “1973年 第46回 アカデミー賞”. allcinema. 2025年10月4日閲覧。
外部リンク
- 追憶 - allcinema
- 追憶 - KINENOTE
- The Way We Were - オールムービー
- The Way We Were - IMDb
- The Way We Were - ウェイバックマシン(2012年4月29日アーカイブ分) - TCM Movie Database
- The Way We Were - American Film Institute Catalog
- McCarthyism and the Movies The Way We Were (1973)
- Barbra Archives: The Way We Were cut scenes and song demos
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