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近藤徹 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:35 UTC 版)

近藤 徹
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県
生年月日 1944年
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。

来歴・人物

岡崎北高等学校では3年生の時に、1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、豊田西高に敗退。高校卒業後に法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。三番打者、三塁手として活躍し、1966年秋季リーグではベストナイン(三塁手)に選出されている[1]。 大学同期に二塁手中村之保投手里見忠志がいる。1966年第二次ドラフトサンケイアトムズに4位指名されるが入団を拒否[2]

卒業後は社会人野球日本コロムビアに進む。1967年都市対抗に四番打者として出場、エース近藤重雄を擁し準々決勝に進出する。この試合の先発を任された永淵洋三東芝から補強)が好投するが、6回に逆転を許し電電東京に惜敗[3]。同年に開催された第7回アジア野球選手権大会日本代表にも選出され、主に二塁手として日本の優勝に貢献した。1970年都市対抗にも二塁手として出場[3]。しかし日本コロムビアは1971年をもって野球部を廃止した。

脚注

  1. ^ 東京六大学野球連盟(記録)」(一財)東京六大学野球連盟
  2. ^ 過去のドラフト - ドラフト会議2014” (日本語). nikkansports.com. 2020年6月22日閲覧。
  3. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

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