軟禁と改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 07:46 UTC 版)
「イェッセ (カルトリ国王)」の記事における「軟禁と改宗」の解説
イェッセはカヘティのテラヴィに逃れたが、ヴァフタング6世の息子で新たにカルトリ王国の摂政となったバカル王子(英語版)に降伏した。彼はトビリシで軟禁されてキリスト教に改宗した。1721年にヴァフタング6世によって解放され、ムフラニの領地を授けられ、司法大臣に任命された。1723年にコンスタンティネ2世(英語版)(マフマド・クリー・ハーン)がヴァフタング6世をカルトリ国王の座から追おうとペルシャ軍と移動してきた時、イェッセはカルトリに進駐してくるオスマン帝国軍に働きかける為に逃げ、再び改宗してスンニ派ムスリムとなって、ムスタファ・パシャの名の下に王としてカルトリ王国を再興した。彼の権力は大部分が名目的で、政府も実際はオスマン帝国の司令官によって統治された。1724年のカルトリ王国の動乱では、オスマン帝国の中央政府になんとかカルトリ王国の存続を認めさせたが、1727年の彼の死によってカルトリ王国は廃止され、オスマン帝国の直接統治下に置かれることとなった。
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