足尾銅山馬車鉄道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 組織・団体 > 企業・法人 > 企業・法人 > 軽便鉄道 > 足尾銅山馬車鉄道の意味・解説 

足尾銅山馬車鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 08:39 UTC 版)

足尾銅山馬車鉄道(あしおどうざんばしゃてつどう)は、足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610 mmの鉄道で、足尾銅山で使用する資材や銅山で働く人々とその家族、生活用品の輸送を担っていた[1][2]明治期の開業時の動力[3]大正末期にガソリン機関車に変わる[4]。臼井茂信は1934年昭和9年)9月20日に本鉄道を訪れているが、当時発行されていた『鉄道軌道一覧』[5]には本鉄道は掲載されていなかったという[6]


  1. ^ a b c d e f g h 「TMS INFORMATION」『鉄道模型趣味』2009年8月号、p. 112
  2. ^ a b c d e f g h i 臼井茂信「私の思い出写真2 フォード万歳」『鉄道ファン』1975年4月号、p. 86
  3. ^ a b c 馬車鉄道貨物運搬」『写真館四代目のブログ』
  4. ^ 大正15年8月からガソリンカー」『写真館四代目のブログ』
  5. ^ 『地方鉄道・軌道一覧』のことのようである。
  6. ^ a b c d 臼井茂信「私の思い出写真2 フォード万歳」p. 87
  7. ^ 足尾町『高原木概念図』(ファイル:足尾銅山馬車鉄道・高原木概念図(s125-35b).jpg
  8. ^ a b c d e f 『TOKYO Web』2009年8月7日東京新聞
  9. ^ 『YOMIURI ONLINE』2009年8月7日読売新聞)では距離を「約30km」と報じているが、具体的にその区間を報じておらず、「町内の路線」と報じている。
  10. ^ 大正15年8月からガソリンカー」『写真館四代目のブログ』には、「1926年大正15年/昭和元年)8月から動力からガソリン機関車に変わった」とある。「6月から」とも書かれている。また、「列車本数は、赤倉 - 小瀧(小滝)間が1日上下各5本」とある。
  11. ^ YOMIURI ONLINE』には「1955年昭和30年)に姿を消した」とある。
  12. ^ 大正15年8月からガソリンカー」『写真館四代目のブログ』。この文献には客車の軌間が「700 mm」と書かれている。
  13. ^ YOMIURI ONLINE』では全幅が「1,200 mm」となっている。
  14. ^ a b c YOMIURI ONLINE
  15. ^ レイルマガジン』2009年9月号。一方『YOMIURI ONLINE』には「車体は国立公文書館で見つかった設計図を基に復元された」とある。
  16. ^ 足尾銅山馬車軌道 足尾のフォード ガソリン機関車 (組立キット) (鉄道模型)


「足尾銅山馬車鉄道」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「足尾銅山馬車鉄道」の関連用語

足尾銅山馬車鉄道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



足尾銅山馬車鉄道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの足尾銅山馬車鉄道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS