足尾銅山馬車鉄道
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足尾銅山馬車鉄道(あしおどうざんばしゃてつどう)は、足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610 mmの鉄道で、足尾銅山で使用する資材や銅山で働く人々とその家族、生活用品の輸送を担っていた[1][2]明治期の開業時の動力は馬[3]、大正末期にガソリン機関車に変わる[4]。臼井茂信は1934年(昭和9年)9月20日に本鉄道を訪れているが、当時発行されていた『鉄道軌道一覧』[5]には本鉄道は掲載されていなかったという[6]。
- ^ a b c d e f g h 「TMS INFORMATION」『鉄道模型趣味』2009年8月号、p. 112
- ^ a b c d e f g h i 臼井茂信「私の思い出写真2 フォード万歳」『鉄道ファン』1975年4月号、p. 86
- ^ a b c 「馬車鉄道貨物運搬」『写真館四代目のブログ』
- ^ 「大正15年8月からガソリンカー」『写真館四代目のブログ』
- ^ 『地方鉄道・軌道一覧』のことのようである。
- ^ a b c d 臼井茂信「私の思い出写真2 フォード万歳」p. 87
- ^ 足尾町『高原木概念図』(ファイル:足尾銅山馬車鉄道・高原木概念図(s125-35b).jpg)
- ^ a b c d e f 『TOKYO Web』2009年8月7日(東京新聞)
- ^ 『YOMIURI ONLINE』2009年8月7日(読売新聞)では距離を「約30km」と報じているが、具体的にその区間を報じておらず、「町内の路線」と報じている。
- ^ 「大正15年8月からガソリンカー」『写真館四代目のブログ』には、「1926年(大正15年/昭和元年)8月から動力が馬からガソリン機関車に変わった」とある。「6月から」とも書かれている。また、「列車本数は、赤倉 - 小瀧(小滝)間が1日上下各5本」とある。
- ^ 『YOMIURI ONLINE』には「1955年(昭和30年)に姿を消した」とある。
- ^ 「大正15年8月からガソリンカー」『写真館四代目のブログ』。この文献には客車の軌間が「700 mm」と書かれている。
- ^ 『YOMIURI ONLINE』では全幅が「1,200 mm」となっている。
- ^ a b c 『YOMIURI ONLINE』
- ^ 『レイルマガジン』2009年9月号。一方『YOMIURI ONLINE』には「車体は国立公文書館で見つかった設計図を基に復元された」とある。
- ^ 「足尾銅山馬車軌道 足尾のフォード ガソリン機関車 (組立キット) (鉄道模型)」
- 1 足尾銅山馬車鉄道とは
- 2 足尾銅山馬車鉄道の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
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