超限界集落へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:25 UTC 版)
2012年にはまだ炭焼きやシイタケ栽培が行われていた。稲子地区でのこけし制作は大葉富男によって2013年の時点でもまだ続けられていた。 2014年には、かつて稲子分校を開設していた七ヶ宿町立湯原小学校も閉校となった。2015年には所属する七ヶ宿町の人口も1500人を割り込み、宮城県で最も少人数の自治体となった。 2016年は稲子地区の住人は3世帯4人(最少年齢70歳)となり、高齢化率100%の超限界集落とされた。集落を通過するバスもなく、病院に通うには町が手配した隔週で運行されるタクシーを使った。伊達市の総合病院までは車で小一時間ほどかかった。住人が4人になっても、町長選や町議選の選挙カーが通い、地区唯一の選挙ポスター掲示場には候補者のポスターが貼られていた。 2016年、稲子の郵便ポストにビニール袋がかけられ、「このポストは平成28年11月23日から平成29年4月30日まで冬季間閉鎖します。この期間は湯原郵便局前のポストをご利用ください。又お急ぎの方は白石郵便局前ポストをご利用ください 白石郵便局」と張り紙がされ、ポスト投函による郵便回収が停止された。
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