赤穂浪士と潮田氏
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1623年 潮田作右衛門(古河庶流)は常陸国笠間藩浅野氏家老の藤井又左衛門の家老として200石で出仕、後に浅野長重に召抱られ、真壁に居住する。1645年 浅野長直の赤穂藩転封に従った。二代目潮田作右衛門は原田角之丞の娘を妻とした。赤穂浪士の一人、潮田又之丞高教は二代目潮田作右衛門の子である。潮田高教の家紋は丸に三つ引き両。1702年に潮田高教が赤穂浪士として忠義を尽くした浅野家は、110年前に潮田氏の居城である寿能城を落とした浅野家である。初代潮田作右衛門庶流は真壁潮田家として今に続く。
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