赤穂浪士の顕彰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 23:35 UTC 版)
翠城は常に大石良雄ら赤穂浪士の忠節を慕い、その顕彰に尽力している。当時、幕府への配慮から表立っての顕彰が行えなかったが、城内の旧大石邸宅跡(現赤穂大石神社内)にある枝垂れ桜を賞することで代替としていた。翠城は全国の儒学者、詩人からこの枝垂れ桜を賞した漢詩を収集。安政6年(1859年)に、『忠芬義芳詩巻』2巻を上梓した。同書には父・真輔の他に藩内では入江竹軒、神谷桐陰、藩外では梁川星巌、頼三樹三郎、貫名海屋、斎藤拙堂、河野鉄兜などが名を連ねている。
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