赤松氏の家臣時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 19:26 UTC 版)
氏祖は平安時代、赤松氏の祖である赤松季房(すえふさ)の孫・赤松(別所)頼清(よりきよ)とされている。時を経て室町時代には、赤松敦光(あつみつ、赤松則村の弟・円光(の実名)またはその子)や赤松則祐の三男の赤松持則が別所氏の名跡を継いだ。古くから三木近辺を拠点とし、現在の三木城跡から外れた位置に城を構えていた。 室町時代中期以降、嘉吉の乱により主家の赤松氏と共に別所氏も一時衰退したが、応仁の乱により赤松氏が勢力を回復すると別所則治は三木城を築き初代城主となった。そのため則治は別所氏中興の祖と言われる。
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