貫井遺跡保存問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 15:36 UTC 版)
1972年(昭和47年)、小金井市立小金井第四小学校の学童保育所建設工事の際に、多数の土器・石器が出土し、工事は中止となった。遺跡保護か学校建設かの議論が起こり、1974年(昭和49年)には同小学校校庭で遺跡の広がりを確認する調査が行なわれ、続く1975~1978年(昭和50~53年)には校舎増築・道路建設部分の発掘調査が行なわれ、縄文時代中期の住居跡などが発掘された。
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