貞源寺 (中野区)とは? わかりやすく解説

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貞源寺 (中野区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 14:41 UTC 版)

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貞源寺
所在地 東京都中野区沼袋2-19-28
山号 永康山
院号 東照院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長6年(1601年
開山 慶誉春公
開基 徳川家康
公式HP 浄土宗貞源寺|中野区沼袋の浄土宗・貞源寺公式サイト
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貞源寺(ていげんじ)は、東京都中野区にある浄土宗寺院

歴史

1601年慶長6年)、慶誉春公によって開山された。慶誉春公は、かねてより徳川家康から「自分が天下を取ったら、近くに寺を構えてくれ」といわれていた。関ヶ原の戦いの後、天下の趨勢が徳川家に決したのを機に、江戸に赴いて家康に謁見、約束通り江戸城内に「東正寺」を称する寺を構えることになった[1]

その後、御茶ノ水に移転し、1657年明暦3年)の明暦の大火で浅草松葉町(現・台東区松が谷)に移転した[1]

その後、幕府より「上野東照宮があるのに、その近くに東正寺という寺があるのは紛らわしいので改称せよ。」と命じられた。当寺は本寺の増上寺に相談したところ、「東正寺は家康公所縁の寺であるから、開山・慶誉春公の師で、家康公から帰依を受けた貞蓮社源誉に因み『貞源寺』を名乗るように。」と回答されたため、「貞源寺」を称するようになった[1][2]

1923年大正12年)の関東大震災で焼失したため、かねてより計画していた現在地に移転した。1945年昭和20年)の空襲で再度焼失した。当寺の山号は「榮(栄)康山」であったが、「榮」という字には「火」が二つ並んでおり、縁起が悪いということで、以降は「永康山」を称するようになった[2]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年、51p
  2. ^ a b 貞源寺の歴史貞源寺

参考文献

  • 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年

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