豊竹古靱太夫とは? わかりやすく解説

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豊竹古靱太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 00:04 UTC 版)

豊竹古靱太夫(とよたけ こうつぼだゆう)は、義太夫節の太夫。

初代

文政10年1月15日1827年2月10日) - 明治11年(1878年2月24日)本名・木村弥七。

大坂の靱に生まれ、1834年に8歳で初代豊竹靱太夫に入門、豊竹豆太夫と名乗り、のち豊竹靱小太夫、幕末に2代目靭太夫を襲名したが大坂に同時期に2代目靭太夫名乗る人物が現れを自分のほうが古いとして1870年に古靱太夫となる。

1878年2月24日芝居の「葛の葉」千秋楽の日に大道具の棟梁に暗殺される。

2代目

豊竹山城少掾の前名。





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