谷衛好を祖とする系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:10 UTC 版)
谷衛好の父である福田正之(谷野親衛の次子)は美濃の土豪であり、衛好は伯父綱衛の養子となって谷野姓を称した。斎藤道三や織田信長に仕え、晩年に姓を谷野から谷に改めた。衛好は羽柴秀吉に従うも、三木城攻めで戦死。 跡を継いだ子の衛友は武勇に秀でて秀吉の下で各地を転戦。加増を受けて最終的には丹波何鹿郡山家で1万6,000石を領した。秀吉没後に起こった関ヶ原の戦いでは西軍に与して田辺城の戦いに参加したが、やがて東軍に寝返ったために所領を安堵され、江戸幕府の幕藩体制下では外様大名として丹波山家藩主を務めた。 衛友の死後、子孫は所領の分割を繰り返して最終的には1万石となる。しかし江戸期を通じて藩政に大過は無く、また移封も騒動も無く13代続いて幕末を迎えた。
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