議定書の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:53 UTC 版)
2015年1月までにミンスク議定書による停戦は完全に崩壊した。議定書に反するドネツク国際空港の戦闘での分離主義者の勝利に続いて、ドネツクのエデゥワルト・ バスリン報道官は「ミンスク覚書は採択された内容では斟酌されないだろう」と述べた。その日の遅く、ドネツクの指導者アレクサンドル・ザハルチェンコは、ドネツクは「停戦の協議をこれ以上試みない」、またドネツク軍は「ドネツクの国境直前まで攻撃する」と述べた。ニューヨークタイムズによると停戦は「本当に全て消えて無くなった」。 紛争地帯での戦闘が激しくなる中、ミンスクでは1月31日に別の会談が予定されていた。 3カ国連絡グループのメンバーはミンスクを訪れてドネツクとルガンスクの代表と会合した。ドネツクとルガンスクの指導者たちは出席せず、出席した代表者たちは議定書と覚書の履行について議論することができなかった。彼らは議定書と覚書の改定を求めた。会議は何の結果も残さず延期された。
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