誰も知らない (伊東ゆかりの曲)
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「誰も知らない」 | ||||
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伊東ゆかり の シングル | ||||
初出アルバム『旅』 | ||||
A面 | 誰も知らない | |||
B面 | よせばいいのに | |||
リリース | ||||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | DENON | |||
作詞・作曲 | 岩谷時子(作詞) 筒美京平(作曲) |
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チャート最高順位 | ||||
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伊東ゆかり シングル 年表 | ||||
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「誰も知らない」(だれもしらない)は、1971年10月25日に発売された伊東ゆかりのシングル。
解説
- 1960年代に“スパーク3人娘”のひとりとして一世を風靡した伊東は、1970年に渡辺プロダクションから独立、レコード会社も日本コロムビアに移籍して心機一転を図っていたが、セールスは苦戦を強いられていた[1]。元・ベース奏者でマネージャーをつとめていた父親の伊東謙吉は、日音の村上司に「ぜひとも筒美京平作品を歌わせてほしい。」と依頼[1]。同社が原盤を制作することになる。
- 当初伊東は「リズムを強調したアップテンポの曲は、自分に合わないのでは…。」と難色を示していたが、村上は「マイナーなメロディーをアップビートに乗せた曲をロングドレスで歌うのがイメージの一新につながる。」と説得し、伊東も納得[1]。赤坂ミュージック・スタジオで行われたレコーディングは、歌入れをテイク1で終え完成させる[1]。
- 本作はオリコンチャート週間最高9位と、『知らなかったの』(1969年)以来、約2年ぶりにTOP10入りするヒットを記録[2]。さらに1971年大晦日の第22回NHK紅白歌合戦にも、本作にて9回目の出場を果たした。
収録曲
- 誰も知らない [02:34]
- よせばいいのに [03:09]
収録アルバム
- 旅 (#1)
- ふたたび愛を〜伊東ゆかり・筒美京平 Love Sounds (#1、#2)
カバー
- 篠ヒロコ(1972年) - アルバム『デラックス-第2集』収録。
- 朱里エイコ(1972年) - アルバム『これから始まるなにか〜Passionately S.EIKO』収録。
- 水沢アキ(1973年) - アルバム『娘ごころ』収録。
- 南沙織(1974年) - アルバム『20才』収録。
- 麻丘めぐみ(1974年) - アルバム『グランド・デラックス』収録。
- 麻生よう子(1975年) - アルバム『愛は手さぐり/片隅のふたり』収録。
- 浅野ゆう子(1977年) - アルバム『ぽつりぽつり』収録。
- メル・テイラー・ダイナマイト(1972年) - アルバム『太陽・海・愛』収録。
脚注
- ^ a b c d CD-BOX『筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967〜1997 2013Edition』 ソニー・ミュージックダイレクト(2013年12月25日)ブックレット、59頁。
- ^ 『オリコンチャート・ブック アーティスト編』オリジナルコンフィデンス、1988年、50頁頁。ISBN 4-87-131021-3。
関連項目
「誰も知らない (伊東ゆかりの曲)」の例文・使い方・用例・文例
- 誰も知らないでしょう。
- 明日何が起こるか誰も知らない。
- 何が起こるか誰も知らない。
- その戦争で何人の人が死んだか誰も知らない。
- 彼がどのくらい英語を話せるかは誰も知らない。
- それについては私以外は誰も知らない。
- 彼は何が言いたかったのか、それは誰も知らない。
- 彼がどうなったかは誰も知らない。
- 僕にもかなわぬ夢があったなんて誰も知らない。
- 彼女はどうなったのか誰も知らない。
- 彼をそんなに悩ませているのが一体何なのか誰も知らない。
- 彼の本当の名を誰も知らない。
- 彼の身の上に何があったか誰も知らない。
- 彼がどこへ行ってしまったのか誰も知らない。
- 彼がどこに逃げたのか誰も知らない。
- 誰がそれを知ろうか(誰も知らない)。
- 私は彼らの誰も知らない。
- 私はその3人の誰も知らない。
- 山田君がその後どうなったか、誰も知らない。
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