読売新聞への復帰以後
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翌1946年7月17日には貴族院勅選議員に選ばれるとともに読売新聞に復帰し主筆になる。同議員を交友倶楽部に所属して1947年5月2日の貴族院廃止まで在任。その後友愛で有名な『自由と人生』の出版を働きかけ、関西に旅行しようとする鳩山を三木武吉に引き合わせるなど鳩山一郎のブレーンとなって、第1次鳩山内閣の実現に力を尽くした。原子力基本法にも深く関わっており、三木に中曽根康弘の抜擢を後押ししたとされ、科学技術庁の顧問を務めた。1962年国鉄理事。1965年、勲一等瑞宝章。1975年に死去(享年83)。
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