許可が下りた事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:55 UTC 版)
許可を出した有名な人物として、嘉門の恩人でもある桑田佳祐率いるサザンオールスターズや小室哲哉が挙げられる。この2組は非常に協力的であり、嘉門は桑田が歌唱する楽曲のメドレーで1曲の替え歌にした「サザン替え唄大メドレー」、小室ブームの真っ只中に小室が製作した楽曲のメドレーで1曲の替え歌にした「TK替え唄メドレー」も発売している(ちなみに嘉門のイニシャルもTKである)。その他、米米CLUB、GLAYなどからも快く許可が降りた。嘉門の出身高校の11年後輩である槇原敬之からは、自作曲を替え唄メドレーに取り上げてもらうようリクエストがあったといい、秋元康も協力的であり、AKB48に替え歌指導をしたこともある。 井上陽水の「リバーサイドホテル」の替え歌で八代亜紀の厚化粧をネタにした際は(第1弾に収録)、八代の事務所からの許可は降りたものの、マネージャーから「うちの八代は化粧薄いんですよ」と言われたという。 事務所との交渉ではNGだったが、本人との直接交渉で同意してもらえた事例がある。主なミュージシャンでは山下達郎がいる。また、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」の替え歌の歌詞に中井貴一が登場したときの話(第1弾に収録)で、CD化に当たってサザンの方からはすぐ許可を貰ったが、中井の事務所からはすぐには許可が降りなかったという。その他、「大きな栗の木の下で」の替え歌の歌詞に木の実ナナが登場したとき(「替え唄メドレー3(完結編)」に収録)に木の実に許可を得たところ、快諾した上に「嘉門が私の事を歌ってくれる」と大喜びで知人に宣伝までしてくれたという。
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