設置から廃止まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 08:47 UTC 版)
1920年まで、対馬には対馬警備隊が置かれ、対馬警備隊司令部のもとに対馬警備歩兵大隊と対馬重砲兵大隊の2部隊が置かれていた。1920年(大正9年)8月10日の軍令陸乙第8号で、対馬警備隊司令部は対馬要塞司令部に改称し、警備歩兵大隊は廃止になった。12月1日に、対馬重砲兵大隊は鶏知重砲兵大隊と改称になった。 対馬要塞の唯一の部隊で、砲兵中佐が隊長に任命された。その上には対馬要塞司令部があって、少将が司令官になっていた。平時に兵員が配置されていない砲台の管理は要塞司令部が行っており、重砲兵大隊は訓練で砲台を使用するときにその都度借り受ける関係であった。 改称時点では3個中隊だったが、1922年(大正11年)軍令陸乙第12号により、第3中隊が廃止になった。 1936年6月1日、軍令陸第4号により、2個中隊のまま、鶏知重砲兵連隊となった。
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