西村貞陽とは? わかりやすく解説

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西村貞陽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/11 14:33 UTC 版)

西村 貞陽(にしむら さだあき[1]1846年1月3日(弘化2年12月6日)- 1886年明治19年)9月6日[2])は、幕末佐賀藩士、明治期の開拓使官僚政治家元老院議官。旧名・新助[3]

経歴

肥前国佐賀郡で、農業・西村勇蔵の息子として生まれる[3]

明治2年8月8日1869年9月13日)開拓使に出仕し開拓少主典となる[2]。同年8月24日(9月29日)権大主典に昇進[2]。同月、開拓御用米一万石の盛岡藩から函館港への輸送に関して、諸手配と盛岡から諸職人を引率のため函館に出張し、同年10月函館詰・金穀掛を命ぜられる[2][3]。同年12月20日1870年1月21日)大主典に昇進[2]。明治3年10月17日(1870年11月10日)開拓権監事となり、同年10月20日(12月12日)札幌詰を命ぜられ、札幌本府建設の方針を示した[2][3]。以後、開拓監事、開拓権判官、開拓少判官を歴任[2]。明治4年(1871年)から明治5年(1872年)にかけて岩村通俊判官と本府建設に従事[3]1873年より黒田清隆次官(のち長官)を補佐し、開拓中判官、開拓大書記官を歴任[2][3]。この間、1875年3月から10月にかけて清国に商況視察などで出張した[1][2][3]1881年11月8日、依願免となる。

1883年2月23日、元老院議官に就任[2]。1886年9月、病のため在任中に死去した[2]

栄典

脚注

  1. ^ a b 『幕末明治海外渡航者総覧 第2巻 (人物情報編)』176頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』95-101頁。
  3. ^ a b c d e f g 『札幌人名事典』234頁。
  4. ^ 『官報』第957号「叙任及辞令」1886年9月7日。

参考文献

  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 手塚晃・国立教育会館編『幕末明治海外渡航者総覧 第2巻 (人物情報編)』柏書房、1992年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室編『札幌人名事典』〈さっぽろ文庫66〉北海道新聞社、1993年。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。

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