西村英嗣とは? わかりやすく解説

西村英嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 07:28 UTC 版)

西村 英嗣(西村 秀嗣)
基本情報
国籍 日本
出身地 福岡県三池郡高田町(現:みやま市
生年月日 (1968-07-16) 1968年7月16日(55歳)
身長
体重
184 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト3位
初出場 1987年8月22日
最終出場 1991年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西村 英嗣(にしむら ひでつぐ、本名:西村 秀嗣(読み同じ)、1968年7月16日 - )は、福岡県三池郡高田町出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

柳川高では、1986年春季九州大会県予選南部決勝に進むが、エース石貫宏臣を擁する西日本短大付に9回逆転サヨナラ負け。同年夏の甲子園県予選は準決勝で豊国学園藤崎靖彦新日鐵八幡巨人)と投げ合うが惜敗。高校同期に樽見金典(巨人)、西里幸喜(阪神)がいる。

1986年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。与えられた背番号は「60」[1]。プロ入りと同時に登録名西村 英嗣(本名と読みは同じ)とした。

プロ1年目の1987年から一軍登板を果たし、1988年には山本昌広とともにドジャース傘下の1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学をした。1Aでは11勝3敗の好成績をあげる。

1989年6月に江本晃一と共に、白井孝幸中村弘道との2対2の交換トレードで地元・福岡ダイエーホークスに移籍する。故障したこともあって一軍では未勝利に終わり、1992年に現役を引退した。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1987 中日 4 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 38 7.0 14 1 4 1 0 2 2 0 7 7 9.00 2.57
1989 ダイエー 9 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 75 17.2 15 4 11 0 1 13 1 0 13 10 5.09 1.47
1991 7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 75 17.1 22 1 4 0 0 13 5 0 15 14 7.27 1.50
通算:3年 20 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 188 42.0 51 6 19 1 1 28 8 0 35 31 6.64 1.67

記録

背番号

  • 60 (1987年)
  • 24 (1988年 - 1989年途中)
  • 10 (1989年途中 - 同年終了)
  • 28 (1990年 - 同年途中)
  • 116 (1990年途中 - 同年終了)
  • 58 (1991年 - 1992年)

登録名

  • 西村 英嗣 (にしむら ひでつぐ、1987年 ‐ 1992年)

脚注

  1. ^ 【虎のソナタ】生きていたら仙さん喜んでくれる (1/2ページ)”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年11月2日). 2019年12月7日閲覧。

関連項目

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