西光寺 (常陸太田市谷河原町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 西光寺 (常陸太田市谷河原町)の意味・解説 

西光寺 (常陸太田市谷河原町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 02:27 UTC 版)

西光寺
所在地 茨城県常陸太田市谷河原町735
位置 北緯36度31分14.1秒 東経140度31分29.8秒 / 北緯36.520583度 東経140.524944度 / 36.520583; 140.524944座標: 北緯36度31分14.1秒 東経140度31分29.8秒 / 北緯36.520583度 東経140.524944度 / 36.520583; 140.524944
山号 鳥喰山
院号 無量光院
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代初期
開基 唯円(鳥喰の唯円)
テンプレートを表示

西光寺(さいこうじ)は、茨城県常陸太田市にある真宗大谷派寺院。なお、当寺の約7キロメートル北西の同市下利員町に同名の寺がある。そちらの寺は真言宗であり、重要文化財の「木造薬師如来坐像」を所蔵しているが、現在は無住(住職不在)となっている。

歴史

鎌倉時代初期、唯円(鳥喰の唯円)の開基である。唯円は俗名「橋本綱宗」といい、武蔵国の楢山城の城主[1]であったが、自分の息子が亡くなったことをきっかけに、家督を弟に譲り、諸国行脚の旅に出た。常陸国那珂郡鳥喰村(現・茨城県那珂市豊喰)の空き家に泊まったとき、自分が所持していた薬師如来が夢の中に出てきて、「稲田の聖人のもとを訪れよ。」と告げられた。その稲田草庵(現・西念寺)において浄土真宗宗祖の親鸞に出会い、親鸞の法話に感激して弟子入りを懇願し、「唯円」を名乗ることになった。そして、浄土真宗に帰依するきっかけとなった鳥喰の地に寺を創建した[2][3]

当初の名称は「円寿院本泉寺」であったが、1626年寛永3年)に水戸藩初代藩主徳川頼房によって現在地に移転、その際に「鳥喰山無量光院西光寺」に改称した[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 歎異抄』の作者とされる同名の法名を持つ人物とは別人。両者を区別するために、当寺の開基は通称「鳥喰の唯円」、『歎異抄』の作者とされる僧侶は通称「河和田の唯円」と呼ばれている。なお、茨城県常陸大宮市本泉寺では、鳥喰の唯円の俗名は「鳥喰六郎兵衛尉朝業」としている。
  2. ^ プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年、273p
  3. ^ a b 西光寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」

参考文献

  • プレスサービス 編『茨城の寺を訪ねて』茨城放送、1987年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  西光寺 (常陸太田市谷河原町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西光寺 (常陸太田市谷河原町)」の関連用語

1
50% |||||

西光寺 (常陸太田市谷河原町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西光寺 (常陸太田市谷河原町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西光寺 (常陸太田市谷河原町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS