補筆の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 15:59 UTC 版)
「アンダンテとフィナーレ (チャイコフスキー)」の記事における「補筆の背景」の解説
『アンダンテとフィナーレ』は、『交響曲変ホ長調』の草稿のうち、緩徐楽章と終楽章の部分に基づいている。この未完成交響曲に、チャイコフスキーは1892年に着手するもやがて放棄した。そしてその草稿を転用して、フランスのピアニスト、ルイ・ディエメに完成を約束していたピアノ協奏曲を書き上げることにした。したがって、未完成交響曲の緩徐楽章が協奏曲の第2楽章、終楽章がそのまま終楽章に引き継がれるはずであり、1893年5月から7月の間に、改作の作業に着手された。だがチャイコフスキーは第1楽章の改作を終えると、秋にそのオーケストレーションを進めた上で、単一楽章の『演奏会用アレグロ』として完成させた。 しかし、チャイコフスキーはそのような明白な意図にもかかわらず、『演奏会用アレグロ』(これが後にユルゲンソン社によって『ピアノ協奏曲第3番』として出版されることになった)の最終ページに「第1楽章終わり」と記入した。この語句は、単にチャイコフスキーの側の見落としで抹消されなかったのではないのか? 実のところチャイコフスキーは心変わりをして、先を続けることに決めたのか? 万一ディエメが標準の長さの協奏曲形式を由とした場合に備えて、残りの2楽章を続けることも考えていたのか? いずれにせよチャイコフスキーは、放棄した2楽章を使い回すつもりでいたのか、それとも何か新しく書き起こすつもりだったのか? すべての疑問は、チャイコフスキーの死後間もなく当て推量になった。そのころ第2楽章と第3楽章は草稿の形で放置されたままだった。
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