衆議院議員選挙出馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 04:34 UTC 版)
1958年5月22日投開票の第28回衆議院議員総選挙に、夫・幹市郎が所属した派閥の領袖大野伴睦より勧められ、衆議院の福島1区に出馬を決意、立候補するが次点に終わる。この選挙には同じく新人の天野光晴が前福島県知事の大竹作摩の支援を受け、河野一郎派から出馬当選している。三起子の衆議院議員選挙の出馬・落選により、福島1区での夫・幹市郎の基盤に陰りが生じ、参議院議員選挙落選へとつながっていく(幹市郎の引退後は息子や孫が地盤を引き継いでいる)。
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