蛍雪の功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/28 04:20 UTC 版)

蛍雪の功(けいせつのこう)は、古代中国からの成語。
概要
苦労して勉学に励んで、その成果を出すということを意味する[1]。
由来
この言葉は中国の書物である『蒙求』の一節「孫康映雪,車胤聚螢。」が由来である。この『蒙求』が元にしたのは正史『晋書』と、野史『孫氏世録』に見える以下の故事である。4世紀頃の東晋王朝の時代の中国には、車胤と孫康という2人の貧しい青年がおり、この2人は官僚である官吏を目指して勉学に励んでいた。だが夜に勉強するための灯火に使う油を買う金も無かった為に独自の方法で明かりを確保し勉学を進めて大成した為に併称されたのである。
車胤は貧しい小役人(郡の主簿)の息子で、郡の太守王胡之から「この子どもは見どころがある、あなたの家を大いに発展させるだろう。是非勉強に専念させなさい」と言われるほどの天才少年であったが、家が貧しく燃料がなかった。彼は夏の夜に蛍を数十匹も捕まえて絹の袋に入れ必死に努力したので博学になり、目から鼻に抜けるような才子となったので郷里の人々から称賛された。このことは正史『晋書』にもあり当時から有名であったようである。[2]また孫康は冬の夜に窓辺に雪を積み上げて雪の反射を利用するという明かりで勉学を続けていた。[3]このような努力の結果、2人とも高級官僚までに出世することができたのであった。日本の学校の卒業式で歌われる蛍の光の歌詞は、この逸話が由来である[4]。
関連項目
脚注
- ^ 日本国語大辞典,故事成語を知る辞典,ことわざを知る辞典,日本大百科全書(ニッポニカ), デジタル大辞泉,精選版. “蛍雪の功(ケイセツノコウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年3月5日閲覧。
- ^ 『晋書』卷八十三・列傳第五十三の車胤伝に「車胤字武子…父育,郡主簿。太守王胡之名知人,見胤於童幼之中,謂胤父曰:「此兒當大興卿門,可使專學。」胤恭勤不倦,博學多通。家貧不常得油,夏月則練囊盛數十螢火以照書,以夜繼日焉。及長,風姿美劭,機悟敏速,甚有郷曲之譽。」とある。
- ^ 宋の徐子光『蒙求集註』巻上に引く野史『孫氏世録』に「康家貧、無油。常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。後至御史大夫」とある。上田万年『大字典』ではどちらも『晋書』を出典とするが、『晋書』には孫康が雪あかりで学んだ話がなく(列伝もない)、『蒙求集註』が正しい。また『南史』卷五十七・列傳第四十七の孫伯翳伝(孫康の息子孫伯翳の伝)には「孫伯翳,太原人,晉祕書監盛之玄孫。曾祖放,晉國子博士、長沙太守。父康,起部郎,貧常映雪讀書,清介,交游不雜。伯翳位終驃騎鄱陽王參軍事。」とある。
- ^ “「蛍雪の功」って何て読む?由来は中国の故事 | Domani この言葉、読める?「蛍雪の功」とは苦労して勉学に励むこと|由来や使い方をご紹介”. Domani (2023年12月20日). 2025年3月5日閲覧。
蛍雪の功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:57 UTC 版)
一途に学問に励む事を褒め称えること。 東晋の時代の車胤は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。同様に、同じ頃の孫康は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。そして、この二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。
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