蝶が来ぬ生後三日の牛の仔に
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春 |
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評 言 |
楸邨門下の俊英である。惜しくも先年遠い国へ旅立ってしまったが、仲間内では今もって「紅梅忌」の忌日名を持ち、光輝を放ち続けている。 写実を基本としつつも、諷詠に確固たる心象を込め、虚と実の間を自在に遊ぶことのできる人であった。俳句に足を踏み入れたばかりの浪雅が、いつも憧憬をもって句会を共にした覚えがある。後年、宿痾に苦しみ続けたが、決して俳句を捨てることのなかった女性俳人である。 掲句は、叙景に終始した単調な詠みぶりながらも、名状しがたい不思議な雰囲気を感じる。それが何であるのか把握するのに、かなり時間をかけることとなってしまった。 昨今は全盛であるが、当時は一部の人が唱える他に関心を寄せる人の少なかったアニミズムに、細田は深く感じ入り理解していたことが窺える。 生まれたばかりの仔牛に、細田は魂が宿って行くのを確かに見た。その時実景の蝶がふらふらと飛んできたというのである。蝶にしつらえ、魂を牛に宿らせた造化の妙に感動した細田の顔がまざまざと見えて来る。またそれを大袈裟にでなく、叙景の句として淡々と詠い得る細田の手腕に驚かされる。 楸邨存命の頃は、シルクロード他の海外にまで同行し、旺盛な作句活動に終始した人であった。生前、彼女からの海外土産を頂戴することがあったのも懐かしい思い出である。 春立つやサハラの砂を残し逝く 浪雅 |
評 者 |
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備 考 |
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