藤堂監物とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤堂監物の意味・解説 

藤堂監物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/17 07:45 UTC 版)

藤堂 監物(とうどう けんもつ、天保13年(1842年) - 明治3年11月26日1871年1月16日))は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての津藩の藩士である。長谷部一の別称で有名である。別名は慎吾、広拓とも。

監物は伊勢津藩の藩士の息子であり、藩主・藤堂高猷に仕えた。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに参加し、旧幕府軍を裏切って新政府軍に与した。その後、新政府の東征軍に参加し、左隊長に任じられた。監物は彰義隊との戦い、会津戦争などで功績を立てたため、明治2年(1869年)に300石を恩賞として与えられた。また同時に長谷部一と改名し、津藩軍の大隊長に任じられた。

しかし明治3年(1870年)、高猷が行なった平民による藩軍編成に反対し、同志を集めてクーデターを起こそうとしたが、事前に発覚したために失敗し、自殺した(監物騒動)。享年29。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤堂監物」の関連用語

藤堂監物のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤堂監物のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤堂監物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS