藤原鷹養とは? わかりやすく解説

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藤原鷹養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 05:32 UTC 版)

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藤原鷹養
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 弘仁5年(814年)?
官位 従五位上越中守
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 藤原南家豊成
父母 父:藤原長道、母:不詳
兄弟 根乙麻呂、柄継、都麻呂、助継、鷹養
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藤原 鷹養(ふじわら の たかかい)は、平安時代初期の貴族藤原南家豊成流、右衛門権佐藤原長道の子。官位従五位上越中守

経歴

紀伊守在任中の延暦23年(804年)に桓武天皇の紀伊国行幸があり、従五位上に昇叙された。大同3年(808年造西寺長官

弘仁元年(810年薬子の変終結後に民部大輔に任ぜられる。弘仁3年(812年越中守に任ぜられ地方官に転じる。弘仁5年(814年)後任の越中守に登美藤津が任ぜられており[1]、それまでに鷹養は卒去したか。なお、翌弘仁6年(815年)に官物横領を理由に、越中介・大伴黒成ら越中国の国司官職を解かれたが、鷹養は既に没していたことを理由に免罪されている[2]

官歴

日本後紀』による。

脚注

  1. ^ 『日本後紀』弘仁5年12月2日条
  2. ^ 『日本後紀』弘仁6年2月9日条

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