藤原資頼とは? わかりやすく解説

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藤原資頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/05 05:10 UTC 版)

藤原 資頼(ふじわら の すけより、久安4年(1148年) - 没年不詳)は、平安時代から鎌倉時代公卿藤原北家大炊御門流参議・藤原頼定の子。官位従三位皇太后宮権大夫

経歴

長寛元年(1163年従五位下に叙爵し、丹波守に任ぜられる。後白河院院司を務める一方、受領として備中守土佐守などの地方官を歴任した。

元久元年(1204年皇太后宮権大夫に任ぜられ、承元4年(1211年従三位に叙せられ公卿に列す。建保元年(1213年出家

官歴

公卿補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原頼定
  • 母:祝部成仲の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原資隆
    • 男子:縁快
    • 男子:覚融

参考文献

  • 安田元久『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年)
  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年



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