薬師寺移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/22 12:42 UTC 版)
薬師寺が平城京に移されたことについては明治以来論争がある。従来はその伽藍の規模や配置が西ノ京の薬師寺とほぼ一致しており、瓦も同一であるとして、西ノ京の薬師寺に移築されたとする説(移建説)が有力であった。しかし、伽藍配置はほぼ同じだが、回廊が複廊の薬師寺に対して本薬師寺は単廊である。ただし、薬師寺の回廊の発掘から、西ノ京の薬師寺も当初は単廊で造営が進められたことが明らかになっている。そのほか塔や金堂の裳階(もこし)など薬師寺との違いが細部にある。瓦については、創建時の軒瓦のうち軒丸瓦は同笵のものであったが、軒平瓦は同じものではなかった。また、本薬師寺からその創建時の瓦が大量に発掘され、かつ、西ノ京の薬師寺建立後に補修された瓦も発見されている。これらのことから、西ノ京の薬師寺は移築ではなく新築(非移建説〈新建説〉)と考えられているが、西塔の状況からそうではないという説もある。また、金堂の本尊についても、移転により本薬師寺から運ばれたとする説(移座説)と、新たに造られたとする説(非移座説〈新造説〉)がある。
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