薬師寺東塔銘文の「即位八年庚辰」
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「大友皇子即位説」の記事における「薬師寺東塔銘文の「即位八年庚辰」」の解説
奈良の薬師寺の東塔には露盤があり、そこに銘文があって、「維清原宮馭宇天皇即位八年庚辰の歳」というくだりがある。清原宮とは飛鳥浄御原宮にあてられるから、この「天皇」は天武天皇である。天武天皇の庚辰年は680年である。『書紀』がいうように壬申年(672年)が天武天皇元年だとすると、庚辰年は9年になる。もし元年が癸酉(673年)なら8年で、計算があう。これは銘をいれた当時、持統天皇の時代に天武天皇元年が癸酉とみなされていた証拠であり、ひいては『日本書紀』が年数の計算を変更した証拠でもある。これは日下部勝皋が初めて指摘した。 しかし『日本書紀』は即位が天武天皇2年の癸酉年にあったと記した上で元年を壬申年においているのだから、「即位八年」という表記は『書紀』の内容と食い違うものではない。
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