薩摩藩の保護下へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:58 UTC 版)
慶応3年10月、中村ら浪士たちは、土佐藩邸から薩摩藩邸へ移管される。土佐藩は当時、穏健な大政奉還路線を採ろうとし、討幕派浪士の扱いに困った事と、乾退助ら武力討幕派は、討幕佐幕と状勢が不安定な土佐藩内より、討幕勢力を薩摩藩に集約させておきたいという利害が一致し、薩土討幕の密約に基づき大政奉還直前にあわただしく中村勇吉、相楽総三、里見某ら水戸浪士が薩摩藩の保護下へ移管された。
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