蒔田広城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蒔田広城の意味・解説 

蒔田広城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:58 UTC 版)

蒔田広城

蒔田 広城(廣城、まきた ひろなり、1881年明治14年)8月25日[1] - 1943年昭和18年)3月18日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院子爵議員。幼名・新之助[3]

経歴

伊予宇和島藩主・伊達宗城の十一男として生まれ、子爵蒔田広孝の養子となる[1][3]。養父の隠居に伴い、1912年(明治45年)7月20日に子爵を襲爵した[1][3][4]

学習院を経て、京都帝国大学法科大学を修了[2][3]1911年アメリカ合衆国を視察[2][3]。帰国後、小田原急行沿線企業の重役を務めた[3]

1919年(大正8年)12月26日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]1925年(大正14年)7月9日まで在任[2]。さらに、1932年(昭和7年)7月10月、貴族院子爵議員に当選し[7][8]研究会に所属して活動し1939年(昭和14年)7月9日まで通算2期在任した[2]

親族

  • 妻:ろく(旧姓・前田、末広重雄養女)[1]
  • 長男:広靖(子爵、旧名・明一、海軍主計少佐)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻、547-548頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』55頁。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』マ36頁。
  4. ^ 『官報』第8727号、明治45年7月22日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
  6. ^ 『官報』第2221号、大正8年12月27日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、41頁。
  8. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所編、1941年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
蒔田広孝
子爵
浅尾)蒔田家第2代
1912年 - 1943年
次代
蒔田広靖



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蒔田広城」の関連用語

蒔田広城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蒔田広城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蒔田広城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS