荘周の友人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 17:11 UTC 版)
恵施は『荘子』に頻繁に登場し、荘周の友人または好敵手として、二人の交流が描かれている。二人が交流した時期は、恵施が上記の宋にいた時期、すなわち紀元前320年前後と推定される。 とりわけ、『荘子』秋水篇の著名な「知魚楽」の説話(濠梁之辯(中国語版)ともいう)では、荘周の聞き手をつとめている。 『荘子』秋水篇や『淮南子』斉俗訓には、二人はいつも会いたがっていた、という旨の説話が伝わる。 『荘子』至楽篇によれば、荘周の妻の死んだ際、恵施が弔問に訪れたところ、荘周は妻の死を悲しむどころか、むしろ楽しげに歌っていたという。 『荘子』徐无鬼篇や『淮南子』修務訓によれば、恵施の死後、荘周は「議論できる相手がこの世に一人もいなくなった」と悲嘆していたという。
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