若槻家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:58 UTC 版)
祖父・待齢(たいれい)養父敬の養父待齢は近在に聞こえた大酒家であった。その人となりはきわめて硬骨漢であり、けっして自分の信念を曲げない人間であったが、その酒豪ぶりをみていたトク子(徳子)は、「礼次郎があのような大酒家になっては困る…」とそれを心配していた。この待齢というトク子の祖父はかなり変わった人間で、ある時、養子の敬が勉強するところへきて、手にした鉄瓶の中の熱湯を敬の膝頭に注いだ。父のやり方を知っている敬は黙々としてその熱さに耐え、読書をつづけたので待齢(たいれい)は「やはり敬はわしが見込んだだけある。将来はエラブツになるじゃろう」とうなずいたという。 父・敬 - 礼次郎の実母クラの弟敬は学問もよくできて旧藩時代から藩庁に出仕を命ぜられ、維新以降は島根県の官吏として能義郡、大原郡、八束郡などの郡長を歴任した。漢学、書道などに優れ、礼次郎は後に養父敬の文章、書などを集めた『槻隠遺稿』という追悼録を編集している。 母・ナミ子 従妹・妻・徳子(とくこ、若槻敬の長女) 長男・有格(実業家) 長女・繁子(田原和男の妻)孫娘・隆子(日本銀行総裁・森永貞一郎の妻)
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