若林側からの記録「上杉家御年譜18」
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一方、「上杉家御年譜18」5月24日には急遽、米沢に戻った若林が重臣を召集し、会議を開いたことが記載されている。 若林は藩主の越後出陣中止と軍を後方に退かすべきと主張し、軍が自分の言う事を聞かず、おまけに軍の連中は自分に対して「老怯(ろうきょう)軍気を撓(たゆ)ますものとなし謗議(ぼうぎ:悪口)すこぶる粉興す」と批判したと述べた。 結局、若林の意見が入れられたのは、藩主上杉斉憲の越後出陣をしばらく様子見とすることだけで、6月1日に現地の色部・千坂総督から越後戦線の戦況報告と藩侯の親征を懇請する手紙が届き、6月3日に出陣したので、若林の影響力は限界があった。
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