芦分国民学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:17 UTC 版)
芦分国民学校は1873年に北大組第十区小学校として開校した。芦分尋常小学校と改称したのち、1909年に北区下福島5丁目(現在の福島区野田6丁目2番、跡地は大阪市建設局西北工営所)に移転した。 しかし大阪市は1940年代に中等学校増設策をとることにした。その際新規の校舎建設・校地確保をする余裕がなかったため、既存の小学校を近隣校に統廃合させる形で廃校とし、空いた校舎を中等学校に転用することにした。芦分校は校舎転用の対象となり、校舎を新設の芦分高等家政女学校(終戦直後に廃校)に明け渡す形で1942年に廃校となった。 児童は野田国民学校へ転入することになった。一方で芦分国民学校廃校後1年間は地域の意向により、家政女学校に同居する形で旧芦分校校舎を地域分校として2-6年生児童が学んでいた。しかし翌1943年に分校は廃止され、本校に統合された。 分校廃止と同日の1943年4月1日付で大阪市の行政区の再編成もおこなわれ、旧芦分校校区を分断する形で此花区と福島区の境界が引かれたため、福島区側在住の児童は野田国民学校本校へ、此花区側在住の児童は大阪市西九条国民学校(現在の大阪市立西九条小学校)へと分離編入された。
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