船通山のイチイ
名称: | 船通山のイチイ |
ふりがな: | せんつうざんのいちい |
種別: | 天然記念物 |
種別2: | |
都道府県: | 鳥取県 |
市区町村: | 日野郡日南町 |
管理団体: | 日南町(昭33・4・7) |
指定年月日: | 1957.07.27(昭和32.07.27) |
指定基準: | 植1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 船通山の頂上に近い南斜面にある。主幹は高さ約5メートル、地上1メートルの周囲約3メートル、斜面に沿って匍匐する枝は最長19.5メートルで扇状にひろがって地表を覆い、その面積は約200平方メートルに及ぶ。自生のキヤラボクの巨樹として稀に見る成長をとげたものである。 |
天然記念物: | 船津胎内樹型 船浦のニッパヤシ群落 船窪のオンツツジ群落 船通山のイチイ 芝谷地湿原植物群落 芥屋の大門 花山のアズマシャクナゲ自生北限地帯 |
船通山のイチイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 10:13 UTC 版)

船通山のイチイ(せんつうざんのいちい)は、鳥取県日南町大字上萩山にある巨大なイチイの古木である。国の天然記念物に指定され、比婆道後帝釈国定公園内にある。
概要


鳥取県と島根県境である船通山の鳥取県側の九合目付近の風衝地帯にある[1]。樹齢2000年[2]と伝えられ古くから神木として大切にして保護されてきた経過がある。
標高1000m前後の高山に位置しているため、このイチイの枝は風雪の影響を大きく受けており、山の斜面に沿って山肌を這うように枝が平面に広がっているのが特徴である。
船通山は大正時代から昭和初期頃にかけて、教育者で郷土史家の内藤岩雄が中心となりヤマタノオロチ伝説の残る当山を含めた近隣区域の神域の宣揚を行った場所であった。内藤は神話伝承の残る船通山の頂上付近にイチイの古木が存在していたという事から、イチイの自生地を含めた山頂周辺の土地を自ら購入し伐採が行われないようにしたのが保護活動の始まりだった。内藤は昭和20年に死去したが啓発活動が認められ、昭和32年7月27日に国の天然記念物に指定された[3]。
なお、平成23年12月から1月にかけての雪害によって上部に伸びる主幹が折れるなどの被害に遭遇した。
交通・アクセス
- JR伯備線生山駅から国道183号を広島方面に向かい自動車で約40分で登山道入り口駐車場に至る。頂上へは登山道入り口から徒歩約1時間。
- 登山道入り口より山道を登ると約10分でキャンプ場にとうする。ここから健脚コース(約1.06㎞ 約40分)と一般コース(約1.4㎞ 約50分)に分岐する。
脚注
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度9分19.1秒 東経133度10分41.0秒 / 北緯35.155306度 東経133.178056度
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