自由国軍による主要都市占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:12 UTC 版)
「アイルランド内戦」の記事における「自由国軍による主要都市占領」の解説
ダブリンが自由国軍の手に落ちると、戦闘はアイルランド中に拡大し、コーク、リムリック、ウォーターフォードなどの都市が反条約派により占領され、「マンスター共和国」の建国が宣言された。しかし反条約派は正規戦を戦える装備を有しておらず、イギリス軍からの装備の提供を受けていた自由国軍は、それらの都市を簡単に奪取した。8月10日、マンスター共和国の最後の砦であったコークは自由国軍により占領され、反乱側の指導者たちは独立戦争時の戦友により処刑された。自由国軍により主要都市が掌握されると、内戦は暗殺を中心にしたゲリラ戦へと変貌していった。同年8月には国防相を務めていたマイケル・コリンズが反条約派によって自宅付近で殺害された。ドイル・エアラン議長を務めていたアーサー・グリフィスも心臓発作により急死し、自由国政府はW・T・コスグレイヴと自由国軍の指揮官リチャード・マルケイ(英語版)らにより指導されることになった。
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