脇坂次郎とは? わかりやすく解説

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脇坂次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/04 09:55 UTC 版)

脇坂 次郎(わきさか じろう、1886年明治19年)3月17日[1][2] - 1964年昭和39年)1月2日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

兵庫県出身[1][2][3]。1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業[1][4]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる[1][4]

1912年(明治45年)3月、臨時朝鮮派遣歩兵第1連隊付となり、歩兵第8連隊大隊副官、同連隊付、同連隊中隊長、第4師団司令部付、同師団副官、台湾軍副官を務め、1924年(大正13年)8月、歩兵少佐に昇進し台湾軍幕僚付となる[1]歩兵第42連隊大隊長、第5師団副官を経て、1930年(昭和5年)3月、歩兵中佐に進み歩兵第11連隊付となる[1]陸軍大学校副官、独立守備歩兵第5大隊長を経て、1935年(昭和10年)3月、歩兵大佐に昇進し近衛師団司令部付(東洋大学配属将校)となる[1][3]

1936年(昭和11年)3月、麻布連隊区司令官に就任し、1937年(昭和12年)8月、歩兵第36連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]南京戦徐州会戦などに参戦した[2]。1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し留守第3師団司令部付となり帰国[1][2][3]。1939年(昭和14年)3月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]。1942年(昭和17年)3月に召集され名古屋陸軍造兵廠付に就任し、1943年(昭和18年)6月に召集解除となった[1]

親族

  • 子息 脇坂一雄(陸軍少佐)[1]

栄典

勲章

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸海軍総合事典』第2版、173頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』805頁。
  3. ^ a b c d e 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』249頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』238、249頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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