脇坂安総とは? わかりやすく解説

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脇坂安総

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/22 22:31 UTC 版)

 
脇坂 安総
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 延宝5年10月27日1677年11月22日
改名 安方(初名)、安総
別名 六右衛門、主馬助(通称)
戒名 守芳
墓所 東京都港区高輪東禅寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家綱
氏族 脇坂氏
父母 脇坂安治、側室
兄弟 安忠、安元安信、安重、安経安総
安成、清水谷実任室、脇坂一盛室、
脇坂一長室、田中安義室、脇坂安盛室、
脇坂景直室、座光寺某室
下津屋宗雄娘
安通
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脇坂 安総(わきざか やすふさ)は、江戸時代前期の旗本

略歴

大洲藩初代藩主・脇坂安治の6男として誕生。母は側室。正室は下津屋宗雄娘。

慶安3年(1650年)9月3日、3代将軍・徳川家光に拝謁すると同時に徳川家綱に附属し、江戸城西の丸の御小姓組に列する。承応元年(1652年)12月18日、廩米300俵を賜るが、承応3年(1655年)、甥・安政が家督を相続した際、上総国長柄郡2,000石を分知され廩米は収公となる。 明暦3年(1657年)、讃岐国丸亀藩3代藩主・山崎治頼の夭逝による改易の際、受取りのため城地に赴く。のちに小普請となる。

延宝5年(1677年)、死去。子孫は旗本として続いた。なお異母兄安元の系譜は幕閣へ取り入るために堀田氏から養子を迎えたことにより途絶えているため、脇坂安治の系譜を伝えたのは小普請の安総の家系である。

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