聖書の象徴的解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:34 UTC 版)
前千年王国説の論者の多くは、無千年王国説の聖書解釈を象徴的に過ぎるとして批判している。これに対し、無千年王国説では、聖書の文言を理解するためにはその記述のジャンルに従って解釈する必要があるとする。すなわち、例えば対象が詩であった場合、それは歴史としては読まれないものと考える。この点について、一般に後千年王国説の論者とされるB・B・ウォーフィールドは無千年王国説と共通点を有しており、『ヨハネの黙示録』を1つの黙示 (an apocalyptic) とし、このジャンルにおいては全ては「象徴的媒体」を通じて語られると述べている: そこに登場するあらゆる出来事、人物、事物はひとつの象徴として読まれるべきであり、そして象徴化された事物こそが理解されるべきである。これはある事柄を別の意味において語るということではなく、単に一連の象徴を媒体として語るということであり、そこでは象徴化された事柄のみが意味されているのである。 ウォーフィールドによれば、黙示文学において出来事は象徴的媒体を通じて描写されるため、「象徴」の細部を「象徴化された事柄」に無理に帰することがあってはならない。なぜなら、この書物はそれ自身「我々の眼前に提示する事柄の直接的な描写ではなく、常にそれを表す象徴の直接的な描写を与えている」ためである。
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