聖・上人たちの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
末法思想は多くの貴族の心を深くとらえ、阿弥陀堂が各地に造営されたが、こうした浄土教の普及に力があったのは、むしろ既成の教団や寺院から離れ、山林に入り、あるいは遍歴して独自の活動を展開した聖、あるいは上人とよばれた求道者であった。 聖は、寺院において学問をむねとする学徒に対し、寺院経済を支える禅徒の立場にあり、既成の寺院から離れて別所と呼ばれる地をその活動拠点とすることが多かった。そのなかで高野山を別所としたのが高野聖である。 聖たちは、山林修行や諸国遊行を主としながらも造寺・造塔、写経、供養、鋳鐘、架橋や道路・港湾建設の勧進などの多彩な活動を通じて、民衆からの尊崇と支持を獲得していった。
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