美作国の木曾氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 09:11 UTC 版)
信濃国の木曾氏の子孫とされる美作国の木曾氏である。 伝説によると、近江国鹿飛村に住んでいた木曾義利の曾孫・太郎左衛門源元義が、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで石田三成の西軍に属して東軍と戦ったため、播磨国長谷に隠れた。そして慶長10年(1605年)になってから、木曾元義は津山藩主森忠政を頼って美作国津山を訪れ、粟倉庄庄屋の役目を命じられたとされる。
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