織機メーカーから自動車メーカーへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 20:17 UTC 版)
「スズキ・スズライト」の記事における「織機メーカーから自動車メーカーへ」の解説
1909年(明治42年)、大工から身を起こした鈴木道雄(1887-1982)によって静岡県に創立された鈴木式織機は、地元・静岡で自動織機の製造をはじめ、海外へも市場を拡大して順調に事業を拡大した。 1930年代、鈴木道雄は事業の多角化のため、自動車産業への進出を目指し、1936年、イギリスの小型乗用車オースチン・セブンを導入して研究に着手。数台の試作車を製作した。しかし、折からの太平洋戦争の戦火の拡大により、乗用車生産計画は中止に追い込まれた。 終戦後、織機需要の低迷で経営不振に陥った鈴木式織機は、経営改善のためその当時広まりつつあった自転車用補助エンジンの分野に進出、手始めとして、1952年に自転車用補助エンジン「パワーフリー」、「ダイヤモンドフリー」を相次いで発売した。 1954年(昭和29年)には4ストローク90ccの本格的小型オートバイ「コレダ」を発売し、徐々にバイクメーカーとしての地歩を固めた。6月には社名を鈴木自動車工業に改め、本格的な自動車メーカーへの進出の準備を開始した。二輪車事業の基礎を築いたのは、鈴木道雄の娘婿であった当時の常務・鈴木俊三(1903-1977)と、研究部長の丸山善九(まるやま・よしちか 1918-2000)らである。
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