継続する敵意(紀元前487年-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:37 UTC 版)
「ローマ・ウォルスキ戦争」の記事における「継続する敵意(紀元前487年-)」の解説
紀元前487年、執政官の一人ティトゥス・シキニウスが継続するウォルスキとの戦争を担当することとなった。戦争の推移は明確ではないが、ローマが優勢であったようである。 ウォルスキとアエクイは紀元前485年にも敗北を喫している。しかし執政官クィントゥス・ファビウス・ウィブラヌスはその戦利品を国庫に入れてしまったため、プレブスの怒りを買った。 紀元前484年にもウォルスキとアエクイはローマに敵対した。執政官ルキウス・アエミリウス・マメルクスが率いるローマ軍は敵軍を撃破、さらにローマ騎兵が敵兵を殲滅した。 リウィウスによると、紀元前483年にもウォルスキは敵意を再燃させていたが、ローマは自身の戦力が十分であると確信し、これにはあまり注意を払わず、内政問題に集中していた。 紀元前475年、ウォルスキとアエクイはラティウム領土に侵攻した。ラティウムには内陸部のヘルニキが支援を行ったが、ローマ軍の助けを借りずにラティウム・ヘルニキ軍は敵軍を撃退、かなりの戦利品を得た。その後執政官ガイウス・ナウティウス・ルティルスがウォルスキ領土に侵攻し略奪を行ったが、両軍の間に大規模な戦闘は発生していない。
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