細川論文事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:23 UTC 版)
当事件の「検挙」開始と前後して発生し、のちに当事件に結びつけられた事件である。管轄した警察も異なり、もともとは別個の事件であった。 1942年、総合雑誌『改造』(8月号および9月号)に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が、9月14日に日本読書新聞に陸軍報道部長の谷萩那華雄が掲載した書評「戦争と読書」の中で「共産主義宣伝」であると指弾される。同日、細川は警視庁世田谷警察署に治安維持法違反の容疑で検挙された。この事件は細川個人のみが容疑者とされ、関連して検挙された者はいなかった。
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